成層圏大気主成分の重力分離の発見とその大気循環研究への応用
地球の大気は、地球の重力によって宇宙空間への散逸を免れています。地球の重力下で大気が静水圧平衡の状態では、質量数の大きい(重い)分子は小さい(軽い)分子に比べてより低い高度に分布します。重力に起因するこのような大気成分の分離は重力分離と呼ばれています。現実の対流圏および成層圏大気では、質量数によらない輸送・混合の効果が重力分離効果より106〜103倍と圧倒的に大きいため、重力分離が大気現象として意味を持つのは、高度約100 km以上の超高層大気中のみであると信じられてきました。
私たちは全球の二酸化炭素(CO2)循環を解明することを目的として、質量分析計を用いた大気中酸素(O2)濃度(δ(O2/N2)*)の超高精度測定法を開発し、地上基地での観測や航空機を用いた観測を継続しています。本研究では、その測定手法を大気球によって採取された成層圏大気試料に適用し、高度35 km以下の成層圏における極微小の重力分離の検出に挑戦しました。
図1 日本三陸上空において2007年7月4 日に採取された大気試料の、 δ15N、δ18O/2、δ(Ar/N2)/12およびδ40Ar/4の高度分布。黒および赤のシンボルはそれぞれ質量分析計DELTA-VおよびMAT-252による測定値を示す。図には図2(a)と同様の定常1次元分子拡散・渦拡散モデルから計算したδ15Nの高度分布(青実線)と、モデルに用いた分子拡散および渦拡散係数(黒実線および破線)と重力加速度(緑実線)を併せて示した。
図1は、2007年7月4日に岩手県三陸町上空の成層圏で採取された大気試料を分析することによって得られた、窒素(N2)、O2およびアルゴン(Ar)の安定同位体比δ15N、δ18Oおよびδ40Arと、Arの濃度(δ(Ar/N2))*の高度分布です。なおδ18O、δ(Ar/N2)およびδ40Arの値は、質量数の差について規格化するため、それぞれ2、12および4で割った値を示しています。この図から分かるとおり、高度32 kmにおいて質量数29と28のN2の比が0.0045 %だけ減少するという非常にわずかな変化ではありますが、いずれも高度の上昇に伴った明瞭な減少傾向を示しました。この減少量は重力分離効果を考慮した定常状態での1次元モデルによる結果と整合的であり、δ15N、δ18O、δ40Arおよびδ(Ar/N2)の変化量の関係は、重力分離から予測される完全な質量依存の関係にあります。このことから、成層圏のような低高度においても、大気主成分の重力分離が起きていることが初めて明らかになりました。
現在、地球の温暖化が懸念されていますが、温暖化が進行した場合には成層圏大気の子午面循環(Brewer-Dobson循環)が強化されることが多くの気候モデルから予測されています。私たちは、観測された重力分離を用いて成層圏大気循環の長期変化を評価するために、2次元大気輸送モデル(SOCRATES)を用いた重力分離のシミュレーションを行ないました。また、成層圏大気中のCO2濃度から推定される、熱帯対流圏大気が成層圏に流入した後の平均的な経過時間(CO2 age)についても同モデルを用いてシミュレーションを行いました。
図2 (a) 1995-2010年の期間に観測された、日本上空の各年の観測における高度29 km相当の重力分離(<δ>)と20-28 km以上の高度におけるCO2 ageとの関係。カラーバーおよび丸印の横に附された数字は観測年を示す。SOCRATESモデルによる、Control RunおよびEnhanced BDCシミュレーションによって得られた30-50°Nにおける重力分離とCO2 ageの年平均値の関係を、それぞれ実線および破線で示す。青および赤の点線はそれぞれ、1995-2001年および2004-2010年の期間の観測値に対する回帰直線である。
図2の実線は、モデルシミュレーションによって求めた現在の成層圏大気の重力分離(<δ>*)とCO2 ageの関係です。一方で、破線は温暖化が進行してBrewer-Dobson循環が強化された場合の関係ですが、現在大気における関係とは明らかに異なっていることが分かります。このような違いは、重力分離の強い高度依存性が原因となって生じます。従って、重力分離とCO2 ageの関係を長期的に観測することで、気候モデルが予測するような温暖化に伴う大気循環の変化が実際に起きているかどうかを調べることが可能です。図2には、1995〜2010年の期間に私たちが観測した、高度29 kmにおける重力分離とCO2 ageの関係も示しました。観測値のばらつきは大きいですが、観測された重力分離とCO2 ageの関係は、温暖化が生じた場合に予想される方向とはむしろ逆方向に動いています。今後、重力分離の観測を長期的に継続することにより、気候変化と成層圏循環の変化の関係を明らかにすることができると考えられます。なお本論文は、世界気候研究計画(WCRP)Community NewsのScience Updateにおいても紹介されています。
* δ(O2/N2) = [(16O16O/15N14N)sa/(16O16O/15N14N)ref – 1] x 106、
δ(Ar/N2) = [(40Ar/14N14N)sa/(40Ar/14N14N)ref – 1] x 106、
δ15N = [(15N14N/14N14N)sa/(15N14N/14N14N)ref – 1] x 106、
δ18O = [(18O16O/16O16O)sa/(18O16O/16O16O)ref – 1] x 106、
δ40Ar = [(40Ar/36Ar)sa/(40Ar/36Ar)ref – 1] x 106、
<δ> = (ä15N + ä18O/2 + ä40Ar/4 + d(Ar/N2)/12)/4
ここで、saは測定試料、refは標準試料を示す。
参考文献
- Ishidoya, S., S. Sugawara, S. Morimoto, S. Aoki, T. Nakazawa, H. Honda, and S. Murayama, 2013: Gravitational separation in the stratosphere – a new indicator of atmospheric circulation, Atmos. Chem. Phys., 13, 8787–8796, 2013, www.atmos-chem-phys.net/13/8787/2013/, doi:10.5194/acp-13-8787-2013.