研究成果紹介 No.1
成層圏ではじめて見出された大気主要成分の重力分離と酸素濃度の経年減少
二酸化炭素(CO2)は、地球温暖化にとって最も重要な温室効果気体ですが、現在のところ、人間活動によって大気に放出された量のうち、海洋と陸上植物圏に吸収された量が十分な精度で見積もられておらず、今後の濃度増加を予測する上で大きな問題となっています。
この問題の解決にあたって、大気中の酸素(O2)濃度を高精度で測定することにより、地球規模のCO2の循環を定量的に見積もる方法が新たな手法として注目されています。この方法は、次のようなO2の特性を利用したものです。大気と海洋間のCO2交換には大気中のO2は関与しませんが、陸上生物圏がCO2を吸収または放出すると、それに応じて大気中のO2も変化します。また、化石燃料の消費によっても大気中のCO2とO2は、陸上生物活動の場合とは異なる関係で変化します。したがって、大気中のO2濃度をCO2濃度とともに測定し解析すれば、人間活動によって大気に放出されたCO2が、大気にどれだけ残留し、海洋と陸上植物圏にどれだけ吸収(もしくは放出)されたかを見積もることが可能になります。しかし、この方法を適用するためには、大気に約210000ppm存在するO2のわずか数ppmの変動を正確に検出する高度な計測技術が必要となることから、現在のところ観測例はCO2濃度に比べて極めて少なく、時空間的に密なO2濃度の観測ネットワークの構築が強く望まれています。
私たちは、仙台市郊外や北極Ny-Alesundなどの地上基地における観測や、航空機を用いた日本上空対流圏におけるO2濃度の観測を1999年より継続しています。このような地表から対流圏界面直下までの高度を網羅した長期間のO2濃度データは過去に報告例がないことから、今後その重要性が増していくものと考えられます。さらに私たちは対流圏の観測のみならず、宇宙航空研究開発機構の宇宙科学研究本部と共同で、大気球を用いて採取した成層圏大気のO2濃度の分析も行っています。成層圏におけるO2濃度の精密観測はこれまでに例がなく、地表から中部成層圏におよぶO2濃度の時空間分布が、本研究によってはじめて明らかにされました。以下では、Ishidoya et al. (2006)により報告された三陸上空および南極昭和基地上空の成層圏のO2濃度の観測結果を紹介します。
成層圏大気の採取は、大気球に搭載したクライオジェニックサンプラーを用いて、岩手県三陸上空において1999年5月31日、2000年8月28日、2001年5月30日および2002年9月4日に、また南極昭和基地上空において2004年1月5日に行われました。クライオジェニックサンプラーは、真空排気された容器を液体ヘリウムで-269℃に冷却し、容器に取り付けられたモーター駆動バルブを遠隔操作で開閉することによって、大気を凍らせて固体として容器に捕集する装置です。この装置によって希薄な成層圏大気を効率よく大量に採集することができるため、様々な大気成分を分析することが可能になります。
図1 日本三陸上空および南極昭和基地上空において観測されたδ(O2/N2)、δ15Nおよびd18Oの高度分布。
図1は、観測されたO2濃度(δ(O2/N2)*)と、同時に分析した窒素(N2)の安定同位体比δ15NおよびO2の安定同位体比δ18Oです。成層圏のδ(O2/N2)、δ15Nおよびδ18Oは、いずれも高度が高くなるにつれて値が減少する傾向を示しました。対流圏ではδ15Nとδ18Oは場所によらず一定の値を示すことから、観測された値の減少は成層圏における何らかの同位体分別を反映していると考えられます。この同位体分別は、δ15Nおよびδ18Oの観測値と分子拡散を考慮した定常鉛直1次元モデルによる計算結果との比較により、またδ15Nおよびδ18Oの観測値の相関の解析により、重力による質量数の違いに応じた大気成分の分離が主な原因であることが示されました。これまで大気成分の重力分離は中間圏界面を越えた高度80km以上の超高層大気でのみ観測され得ると考えられてきましたので、本研究で得られた成層圏での重力分離の知見は、中層大気循環の研究に新たな視点をもたらす可能性があると考えられます。
さらに本研究では、成層圏におけるδ15Nとδ18Oの観測値と対流圏における値との差を用いて、δ(O2/N2)に重畳した重力分離の影響を補正することを試みました。補正されたδ(O2/N2)の、高度18–25km以上での平均値を図2に示します。図2から、三陸上空成層圏のδ(O2/N2)は日本上空の上部対流圏の値より常に高く、CO2濃度の場合は逆に成層圏の値のほうが対流圏より常に低いことが分かります。このことは、対流圏ではδ(O2/N2)とCO2濃度がそれぞれ経年的に減少および増加し続けていることを考慮すると、中部成層圏には対流圏に比べて平均的に古い空気塊が存在していることを示しています。さらに濃度差と経年変化から、対流圏と中部成層圏の空気塊の年齢差が約4年であることも明らかになりました。また地表付近の化石燃料消費によるO2消費の影響が成層圏にまで及んでいることも分かりました。
図2 重力分離効果を補正したδ(O2/N2)と、同時に観測されたCO2濃度の、18−25km以上の高度における平均値。●は三陸上空の結果を、○は昭和基地上空の結果を示す。*は日本上空上部対流圏におけるδ(O2/N2)およびCO<2濃度の観測値の年平均値を示す。
成層圏のδ(O2/N2)観測値から全球CO2収支を見積もるために、成層圏でのCO2濃度の観測値を利用して個々の成層圏大気試料の平均的な年代を求め、全球を平均した対流圏におけるδ(2/N2)の時間変動の推定を行いました。その結果、1993年10月−2001年9月の期間のδ(O2/N2)の平均減少率は-17.9±2.0 per meg yr-1と見積もられ、前述のCO2とO2の収支解析法を適用することで、陸上植物圏と海洋のCO2吸収量はそれぞれ1.1±1.3GtC yr-1と1.8±1.3GtC yr-1と求められました。これらの値は、対流圏大気の直接観測を基に報告されている値とほぼ一致しています。本来、成層圏のδ(O<2/N2)の観測データは対流圏のデータに比べて代表性がはるかに高いことから、全球CO2収支を見積もる上で、きわめて重要であると考えられます。
*δ(O2/N2) = (16O16O/15N14N)sa/(16O16O/15N14N)ref-1)x106、
δ15N = ((14N15N/14N14N)sa/(14N15N/14N14N)ref-1)x106、
δ18O = ((18O16O/16O16O)sa/(18O16O/16O16O)ref-1)x106、
ここで、saは測定試料、refは標準試料を示す。
参考文献
Ishidoya, S., S. Sugawara, G. Hashida, S. Morimoto, S. Aoki, T. Nakazawa and T. Yamanouchi, Vertical profiles of the O2/N2 ratio in the stratosphere over Japan and Antarctica, Geophys. Res. Lett., 33, L13701, doi:10.1029/2006GL025886, 2006.