研究成果紹介 No.7

 

成層圏大気の平均年代は変化しているのか?

 

<地球温暖化と成層圏>

大気中の温室効果気体の増加がもたらす影響は、対流圏と成層圏では異なります。地表に近い対流圏では温暖化するのに対して、成層圏では逆に寒冷化を引き起こすと考えられており、実際の観測でも成層圏の寒冷化が確認されています(Solomon et al., 2007)。そればかりではなく、地球温暖化に伴って成層圏の大気の循環が長期的に変化するのではないかと考えられています。このような成層圏の変化は、温室効果気体の循環や、オゾン層の消長等にも大きなインパクトを持ちます。特に成層圏のブリューワ・ドブソン循環(以下、B-D循環)の変化は、オゾン破壊物質が大気から除去されるスピードをコントロールし、今後のオゾン層の回復傾向をも左右します。すなわち、地球温暖化と物質循環、さらには成層圏オゾンが密接に関わった極めて複雑な問題と言えます。

<成層圏大気の年代>

では、実際にB-D循環は変化しているのでしょうか?これを明らかにするためには、空気の年代という考え方が役に立ちます(例えば、Waugh and Hall, 2002)。成層圏の大気の源は熱帯対流圏です。熱帯対流圏から成層圏に運ばれた空気塊は、平均的に見るとB-D循環によって徐々に高緯度側に運ばれて行きます。そこで、ある場所に位置する成層圏の空気について、「対流圏を離れて成層圏に入ってからの経過時間」を定義することができます。これを成層圏大気の年代と呼びます。実際には、大気の混合過程があるために、様々な年代をもつ空気の集合とみなすことができるので、それらの平均(平均年代)を用います。B-D循環が速くなれば平均年代は短く(若く)なり、逆にB-D循環が遅くなれば平均年代は長く(古く)なる、という関係になります。近年、数値モデルによる研究が進み、地球温暖化などの気候変動と成層圏の種々のプロセスをカップリングした数値モデルによる予測が行われるようになりました。このような数値モデルを用いた平均年代の研究からは、「地球温暖化に伴って成層圏の平均年代は短くなる」という予測が報告されています(Austin and Li, 2006)。しかし、これまで、観測等によって成層圏大気の平均年代の長期傾向を明らかにした研究はありませんでした。

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図1 北半球中緯度の成層圏におけるCO2濃度の鉛直分布。1985年から2005年までに実施された、クライオジェニックサンプリング法と現場測定法による結果。いずれも、濃度の分析誤差はシンボルの大きさよりも小さいので省略している。

<観測から得られた新たな事実>

「本当に成層圏大気の平均年代は短くなっているのか?」 この疑問に対して、観測によって答えを出したのが、科学雑誌「Nature Geoscience」に掲載された私たちの研究成果です(Engel et al., 2008)。実際に成層圏大気の平均年代を調べるためには、観測器を搭載した大型の気球を高度35km付近まで上昇させて観測する必要があります。その観測の対象となる物質が、地球温暖化をもたらす原因物質として知られているCO2とSF6(六フッ化硫黄)です。成層圏大気中におけるこれらの成分の濃度を、高精度で測定します。観測方法は二種類あり、現場の空気を採取して持ち帰り、研究室の機器を使って分析する「クライオジェニックサンプリング法」と、気球に分析機器を搭載して連続的に濃度を計測する「現場測定法」です。この気球観測で得られたCO2濃度の鉛直分布を図1に示しました。CO2やSF6は大気中において極めて安定であると同時に、その濃度が人間活動によって単調に増加しているという特徴を持っています。この性質を利用することによって、成層圏大気中のそれらの濃度から、平均年代を正確に推定することが可能になります。そのようにして得られた平均年代の鉛直分布を図2に示しました。このような研究は、日本・ドイツ・アメリカの別々のグループによって独立に実施されてきましたが、それぞれのグループのデータがカバーする期間は限られており、一つのグループが保有するデータのみから長期的な変化を調べることは困難です。そこで、私たちは、各グループが実施してきた気球観測の結果を共有し、1975年から2005年までの30年間に行われた合計27回分の気球実験をもとにして、平均年代の長期変化を調べました。その結果を図3に示しました。この30年間における平均年代の全平均値は4.9 (±0.5)年であり、また、その平均変化率は10年当たり+0.24 (±0.22)年でした。変化率の値が正であることは、平均年代が増加していることを意味しますが、慎重な誤差評価をもとに統計的に検定した結果、その有意性は低く、むしろこの30年間に平均年代は長期的に変化していない、という結論に至りました。一方、前述のように、数値モデルを用いた研究では、「地球温暖化に伴って成層圏の平均年代は短くなる」(Austin and Li, 2006)と予測されていましたが、私たちの観測に基づいた研究結果では、95%の確からしさで、そのような事実はないことが判明しました。

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図2 北半球中緯度の成層圏における平均年代の鉛直分布。それぞれ、図1に示したCO2濃度から推定されている。長期的な平均年代の変化を調べるために、高度24km(図中の赤線、約30hPaに相当する)以上の平均年代の平均値を求め、年に対してプロットしたものが図3である。

 

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図3 北半球中緯度の成層圏における高度24から35kmの間で平均した平均年代の推移。それぞれ、CO2濃度から推定されたもの(三角印)と、SF6濃度から推定されたもの(丸印)を示す。内側のエラーバーは平均値の標準偏差(±1σ)を、外側のエラーバーは様々な不確定要素を考慮して推定された最大推定誤差を表す。赤線は最小二乗法によって当てはめた直線を示す。

<成層圏の謎>

私たちの研究によって、少なくとも高度24km以上の成層圏では、過去30年間に平均年代が短くなるような傾向は見られない、ということが明らかになりました。しかし、このことだけから単純に「地球温暖化によって成層圏のB-D循環は変化していない」と結論することはできません。私たちの研究では、24km以下の下部成層圏における南北方向の大気輸送がどうなっているのか、はっきりしたことは言えません。多くの研究者が、地球温暖化に伴って、対流圏から成層圏への質量輸送量は増大するだろう、と考えています。もしこれが事実だとするならば、質量保存の概念から、成層圏のどこかで、これを補償する水平方向の質量輸送の増大があるはずです。上層の平均年代は変化していない、という私たちの研究結果を考慮すると、下部成層圏における水平方向の輸送がこれを担っている可能性があるのかもしれません。今後、この研究成果が数値モデルのための重要な束縛条件となり、観測とモデルの両面からさらに研究が進むものと期待されます。

 

原著論文

Engel, A. T. Möbius, H. Bönisch, U. Schmidt, R. Heinz, I. Levin, E. Atlas, S. Aoki, T. Nakazawa, S. Sugawara, F. Moore, D. Hurst, J. Elkins, S. Schauffler, A. Andrews & K. Boering, Age of stratospheric air unchanged within uncertainties over the past 30 years, Nature Geoscience advance online publication Published online: 14 December 2008, doi:10.1038/ngeo388, (2008).

参考文献

Solomon, S. et al. (eds) Climate Change 2007: The Physical Science Basis—Contribution of Working Group I to the Fourth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change (Cambridge Univ. Press, 2007).

Waugh, D. W., and T. M. Hall, Age of stratospheric air: Theory, observations and models, Rev. Geophys., 40(4), 1010, doi:10.1029/ 2000RG000101, (2002).

Austin, J. and F. Li, On the relationship between the strength of the Brewer-Dobson circulation and the age of stratospheric air, Geophys. Res. Lett., 33, L17807, doi:10.1029/2006GL026867, (2006).